芦原会館(フルコンタクト空手)

芦原会館は、ケンカ十段と呼ばれた芦原英幸氏が大山倍達氏率いる極真会館から独立しておこした空手流派。正道会館の石井和義氏、円心会館の二宮城光氏も芦原氏の弟子である。芦原英幸 芦原会館先代館長

芦原会館空手の特徴は「サバキ」と呼ばれるもので、相手の攻撃を受け流して死角に入り込み、投げ、崩しにより相手の態勢を不利な状態に、自分にとって有利なポジションから打撃を加えて倒す・制圧するという、護身術的かつ実戦を強く意識したスタイルが特徴。

現在は創始者、芦原英幸氏が亡くなり、実子・英典氏が館長職を継承している。
芦原会館は天才、芦原英幸だけが体現できた強さを万人が強くなれるように体系化して伝えることを目指している。

 

新説!!芦原英幸―いま明かされる天才空手家の技と心 (BUDO-RA BOOKS)

管理人が最初に学んだ空手が、この芦原会館でした。

大阪球場裏、狭い階段を上がるとそこは戦場という気持ちでいつもびくびくしながら通っていたのを思い出します。

先代の芦原館長にも審査の時に2度お会いし、ラッキーなことに技の説明をする時に呼ばれ、捌きの見本の相手役をさせていただいたことがあります。

空手バカ一代やブルースリーによる極真空手ブームの最後の方で、道場内には、芦原空手の名前の付いた道着に交じって極真会館の刺しゅう入りの道着を来た人もたくさんいました。まだ二宮氏も芦原会館に在籍しており、当時の芦原館長はカリスマ的な雰囲気を発していました。

 

審査会は人であふれかえっていて、芦原館長のサインを求めてみんな事務室の前にずらっと並んでいたのを思い出します。私もサインしてもらいましたが、道着にサインしてもらっても何度も洗っているうちに結局落ちてしまうのが悲しかったですね。

 

私が通っていた当時の芦原会館の稽古は、ストレッチから基本~移動稽古。2人ひと組で技の練習。最後は組手でした。最近は組手とはいわずに「サバキ」と言っているようですが、当時(1980年前後)は、バリバリの直接打撃制組手でした。

基本的には、黒帯、茶帯などの上級者がずらっと並び、白帯、黄色帯などの下級者が胸を借りる形です。

当然、あっというまに転がされたり、強い(上級者にすればチョコンとたたく程度だったかもしれません)打撃を受けて「まいりました!」となります。

組手がはじまると、道場内には、「まいりました!」「まいりました!」という下級者の声があちらこちらから響きわたります。

その当時は、怖い空手という印象がふんだんにあり、万が一「まいりました!」のタイミングが遅れると、ぼこぼこ状態になる、という恐怖が常にありました。

実際、KOされた相手に向かって、「おい、まいりました言わんかい!!」と怒鳴っている黒帯の先輩がいたりした、ほんとに組手は恐怖でした。

おかげで、中学生の不良とかがまったく怖くなくなりました(笑)

 

芦原空手は、当時から、「誰にでもできる空手」ということを言っていて、館長の著書にも書いてありましたが、稽古はハードだったですから、「誰にでも」はできなかったですね(笑)私と一緒に入った友達も3カ月でやめてしまいましたし。

しかし、相手の攻撃をさばき無力化する、という護身術的要素の強い芦原空手のスタイルは本当の意味で実践的だと思います。

東京には板橋に東京本部道場、大阪には北堀江に関西本部道場があるほか、全国に支部、同好会があります。

芦原会館公式HP

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます

スポンサーリンク

コメントを残す